歴史小説の技法 I――歴史小説の類型/ iii

司馬遼太郎のトリック

 {i}その時のストライキで退学させられた者は十六人にのぼった。原敬、国分青崖、福本日南、陸羯南、加藤恒忠らである。
 {ii}不思議なことに、退学組の方が、明治大正史にその存在をとどめた。福本日南をのぞいて日本の在野史学は論ぜられないし、国分青崖をのぞいて明治大正の漢詩は論ぜられず、陸羯南をのぞいて明治の言論界は論ぜられず、のちに平民宰相と言われた原敬をのぞいて近代日本の政治は論ぜられないであろう。
{iii}「そのかわり、ひどいめにあいましたよ」

司馬遼太郎「坂の上の雲」2-99(kindle)

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」の一節です。日露戦争に至る明治期の日本を扱った小説で戦国武将も志士も出て来ないこの野心作がNHKでドラマ化された枠は大河ドラマではなかったことは結構特徴的です。
 線を引き番号を振ったので、一見して、これが異なる記述のパッチワークであることがお判りになると思います。{i}が資料から纏めたと推測できる「史実」。{ii}が語り手=書き手である司馬遼太郎の考察・推論、{iii}が小説的な部分、即ちフィクションと見られる部分で、この場合は会話です。
 もし歴史記述として厳密であろうとするなら、書き方はまるで別様でなければいけません。資料から纏めた部分には、文章の中か注釈で、どういう文献や史料のどこを見て書いているのかを明示する必要があります。考察と推論は司馬遼太郎の小説においては質的にも量的にも非常に大きな比重を占めますが、これにも本来はどういう文献・史料によってどのようにしてそう考察し推論したのか、もしその考察や推論に異説があるのならその異説がどういうものなのかを、注釈としてでも加えなければなりません。当然、想像によるものは会話も地の文も原則的には書き加えてはいけません。ちなみに、想像で書かれた会話を外せば、歴史記述としての厳密さを要求されない物語的な歴史実録としては許容し得るものです――所謂史伝と言いますか。森鴎外の史伝もそういう形式です。
 では何故司馬遼太郎はそうしないのか。彼は歴史記述としての厳密さなど目的にはしていないからです。彼の目的は飽くまで、実際に起ったこととして概ね妥当であり蓋然性が高いであろうと一般に認められていること(ただしそれは学術的な見地からすれば相当に緩いものであり、議論の余地はあるでしょう)を小説の形で物語化し、しかも歴史の「真」として読者に飲み込ませることだからです。
 そう考えると、何故これがパッチワークなのかも理解できます。資料から纏めた記述は教科書的な文体で書かれることが多い訳ですが、我々はその教科書的な文体を「歴史」の文体——或いはむしろ「正史」の文体と認識しています。その文体で書かれるだけで「真」なる「歴史」であると認識される文体、とでも言いますか。であればこそ、この文体で書かれたことは二重に、論理学的にもイデオロギー的にも「真」であると読者に錯覚させることができます。次に考察・推論が来ます。この部分の特徴は、この考察・推論が妥当だとも蓋然性が高いとも判断しかねることです。ただし、書き手であると名乗る語り手が堂々と割り込んで来て、であろう、と推測であることを明示して語ることによって、二重に語り手の誠実さの幻想が作り出され、結果として、確定不能だが書き手は妥当であり蓋然性が高いと信じているのであろう、という印象が作り出されます。鴎外も史伝で使っている手法です。さて、iii.が問題です。
 比較の為に少し後を見てみましょう——羯南の過去の経験がややくだけた調子で挟まれた後、会話が続いた後に、やはり鍵括弧が使われています。

 {i}常磐会寄宿舎を出た子規は、はじめ駒込追分町三十番地に住んだ。
 {iv}もとは大名屋敷だったらしいが、 今は奥井というひとが家主で、庭園もあり、はなれ家もある。子規はそのはなれ家のひとつを借りた。
 {iii}「きわめて閑静なところで」
 と子規は書いている。
 「勉強には適している。しかも学科の勉強は出来ないで、俳句と小説との勉強になってしもうた」

司馬遼太郎「坂の上の雲」2-116(kindle)

 この部分もやはりパッチワークです。iは正岡子規の伝記上の事実、ivは推論の形式形式で始まりますが、「今は」というのは子規の主観における現在を示しており、つまり小説の地の文――フィクションです。
 注目すべきはiiiの鍵括弧です。
 「きわめて閑静なところにて」が何かからの引用であることは「と子規は書いている」、で明示されています(ただし、それがどういう史料のどこかは示されていません)。他のところでも引用を鍵括弧で括ることはしばしばやっています。ただし鍵括弧は引用だけに用いられている訳ではなく、想像で書かれた談話や会話でも用いられている――つまり引用と想像で書かれた談話が同じ形式で並列されて、同じ形式のものは同じという錯覚を誘っている訳です。
 最初の引用に戻りましょう。想像上の会話を書くのに鍵括弧を使い、引用と特に区別を付けない目的は、歴史記述と虚構を接続することにあります。違和感は皆無ではありません。微かな、不快ではない程度の違和感は確かにあり、これが司馬遼太郎の小説の「快」の大きな要素ですが、それによって史実と虚構がない混ぜにされていることが書き手と読者の間で了解されます。こうなると、勝手に会話を捏造するな、は野暮なクレームというものです——だって虚構は虚構として書かれているんだしそれは判るし、でもこうもシームレスに繋がれちゃう訳だから、これはやっぱり史実を語る方便で、つまり、語られているのはほぼほぼ史実なんだよ。
 それにしても「そのかわり」は! 作中人物が司馬遼太郎の考察を聞いて話している訳でもあるまいに。流石にこれは図々しすぎるというものです。
 司馬遼太郎はこれらを息をするように、時としては極めて高速で、交錯させながら重ねて行きます。
 このテクニックは歴史小説以外のものにも利用可能です。この書き方に倣って書くなら、十万隻の宇宙観隊でも地平線まで埋め尽くすオークの軍団でも、あたかも「史実」であるかのごとく出現させ、しかも、いつでもフィクションらしいフィクションに戻って様々なドラマを展開することが可能です。
 司馬型の歴史小説は王国や帝国が覇を競うスペースオペラやファンタジーと本質的には同じものです。或いは、スペースオペラやファンタジーでも同じやり方で同じ程度の錯覚は造れる、と言いますか。その錯覚が、司馬型小説を読み大河ドラマを見る(御丁寧にもそのままのナレーションが入ることさえあります)人々の間で「真」と見做され、自分の視点を戦国武将や維新の志士や明治の偉人に重ねることを「歴史に学ぶ」と称することを可能にしてきました。今はむしろ『銀河英雄伝説』や『ゲーム・オヴ・スローンズ』で天下国家を語る人の方が多くはないでしょうか。いずれにしても、それほど大きな差はありません。
 あざといくらいにその本質を抉り出した 作例を次に挙げておきましょう。酒見賢一『後宮小説』。1989年に第一回日本ファンタジーノベル大賞を受けた作品です。

 {i}この国にまた新しい後宮が生まれようとしている。{ii}先刻から、この国、と呼んでいるが、国であるからにはちゃんとした名称が存在する。
 昔の民衆は特に自分がいる国の名前を知る必要はなかった。別にどうでも良かったからである。地上にはこの国のほかにも幾つもの国が存在している。しかし、民衆レベルでそれらと交流することは稀であったから、他国との区別の必要上から名を知ることすら、必要なかった。自分の住む里の名を知っておれば十分であったろう。
 {iv}僻地じみた緒陀にいた銀河もやはり、国の名を知らなかった。今、初めて教えられた。
 「素乾国というのだ」
 真野は噛んで含めるように言った。
 「それが王家の姓でもある」

酒見賢一「後宮小説」(新潮文庫 1993) 248 (kindle)

  一行目から大変な司馬ぶりです。「坂の上の雲」の書き出しが「まことに小さな国が、開化期を向かえようとしている」で始まることを覚えている人はにやりとするでしょう。何故なら、ここで舞台とされている国は実在しないからです。iiは考察と推論ですが、「あったろう」の効果を熟知した上で段落の最後に持って来ます。ivでこの小説はフィクションの書き方に再着地します。『坂の上の雲』では鍵括弧による会話でフィクションが動きだしましたが、こちらは「今、初めて教えられた」で作中の現在における作中人物の主観に移ります。「今」の後に句点が入っていることに注意して下さい——典型的な司馬のリズムであり、その際の、作中人物と読み手の間に置かれる絶妙な距離感も注目すべき点です。
 天下国家ファンタジーが司馬技法を用いる時、目指していることは、実際にはどこまでも虚構である登場人物が「歴史上」「実在した」かのような錯覚を起こさせることですが、小説の呼吸まで司馬遼太郎になりきったかのようなこの書き振りは逆に、錯覚を引き起こしつつ、その錯覚が造れるものであることに対する注意を促します。その意味では司馬遼太郎のパスティーシュであり、パスティーシュであるということは、形を真似、効果を真似ることで技法自体を摘出する、ということでもあります。何の為に。
 歴史をこういう形で語ることが引き起こす錯覚に注意を向けることで、歴史記述――特にこの場合は高度経済成長時代の歴史小説というものが「真の歴史」を「知り」自らをその中に仮託することで社会生活におけるあり方を規定するイデオロギーの装置であったことを暴く為、ということになるでしょう。この小説が受賞したのはバブル経済の最盛期であり、大河ドラマも、その原作になり得る歴史小説もある種の行き詰まりを見せていたことを考えると、その批評性は実は相当に高い、ということになります。
 これが、ご紹介したかった歴史小説の三番目の類型です。ヒストリオグラフィカル・メタフィクション。歴史ではなく歴史の語られ方に注意を向けることで、一般に「歴史」とされ無批判に受け入れられているものが何から生れ、どのように感性や思考に影響を与えているのかを摘出し批評する小説です。この類型にも非常に多くの作例がありますが、それは追って検討することにします。