歴史小説の技法 I――歴史小説の類型/ ii

ii 国民の神話としての歴史小説

 日本人はそもそも歴史好きです。と言うより、天下国家好きです。人口の大半の先祖が農民や商人や職人であったにも拘らず、武士――それも天下国家を動かす地位の高い武士に自分を準えて歴史を認識するのが好きです。識字率が高いので、明治以前、つまり公教育が一般化する以前でも、当時の一般教養に含まれていた中国の史書を農民の一部上層でさえ読み、直接漢文を読めない人々の為には物語的にリライトされたものが流通し、自国の歴史についても歌舞伎や講談や一般向けの物語化された出版物として読んで、楽しんでいました。こういうものの展開と影響については、専門の研究者にお任せします。
 明治期以降は数多くの作家が近代文学の形式で歴史を扱うようになりますが、必ずしも今日日本で歴史小説と呼ばれるものばかりではなかったことは、一方に島崎藤村の「夜明け前」、他方に森鴎外の史伝を置けば明らかでしょう。前者はモデルはいるが架空の人物を主人公にし、後者はむしろエッセイに近いものです。時代小説と言われるようなものもよく書かれています。ただし、今言われるような歴史小説――書き方は完全に近代小説だが主人公も周辺人物も実在した人物で、筋書きは、どの程度かには多分に疑問はあるものの一応「史実」をなぞる――にはまだ限定されていなかったことは、ざっと作例を思い浮かべて見てもお判りでしょう。
 「真」の歴史の知識を与えることを目的とする小説という縛りを、結果的にはでしょうが、作ったのは、海音寺潮五郎だと言われています。敗戦後の話です。歴史学的な歴史教育には批判的で、まず文学から入るべきだと主張していたそうですが、これは、1960年前後の状況を考えると無理もないところもあります。ノンポリ、ともすればそれより少し――或いはだいぶ右、というのが今でもその種の歴史小説の特徴ですが、そのことも含め、このプログラムは非常によく機能したことは確かでしょう。「正史」(唯一にして「真」なる国家史、という程度の意味ですが、この「真」は論理学上の真であるという以上に、ある種の価値判断です)を伝達する手段を謳い、大衆小説として物語化されていて、思想的にはノンポリからやや右、というのは。この国における「歴史」の概念を少なからず混乱させ、歴史研究者と小説家の対立を招くことになったプログラムです。司馬遼太郎をデビューさせたのも海音寺潮五郎でした。
 ただし司馬遼太郎的な小説として今日イメージされる歴史小説が圧倒的に大衆に支持される(知識層にはそうでもない)ジャンルとして定着するのに必須だったのは、NHKの大河ドラマです。
 Twitterでタイムラインを追っていても、大河ドラマを毎回欠かさず見て感想を呟く人がまだ結構いることには驚きます。ただし昭和三十年代後半から四十年代――つまりNHKの二つの局の他には民放が精々一つか二つ、衛星放送もケーブルテレビもストリーミングサーヴィスもないという時代にどのように見られていたかは、今日では信じられない人も多いでしょう。
 当時は、一つの家庭にテレビは一台きりのことが殆どでした。それは茶の間――つまりリビングに置かれていました。一般家庭で利用できる録画技術はありませんでした。テレビ局にさえ当時の番組の録画は残っていないことが多いと言われています。録画用の媒体が高価だったので他の番組の録画に使われ上書きされてしまうことがままあったからです。再放送の機会がなければ番組を見るのは一度限りで、必ずその時間、テレビの前にいてチャンネルを合わせなければならないものでした。テレビが一台しかない以上、その時間茶の間にいる家族全員が同じ番組を見ました。そして放送局が精々三つか四つしかない以上、その三つか四つかの番組を、どこの家でも揃って見ていた訳です。人気のある番組は偏るので、同時に放送されている番組の二つ、場合によってはたった一つが、どの家の茶の間のテレビにも映っているというのは今考えると少々異様ですが、土曜の夜は人気のコメディ・グループであるドリフターズの「八時だよ全員集合」、日曜の夜はNHKの大河ドラマ、というのが、昭和四十年代の茶の間の光景です。
 そのNHKが大河ドラマを始めたのは1963年、昭和で言うと38年のことで、半世紀以上前ということになります。この時取り上げられたのは舟橋聖一の「花の生涯」。幕末の大老で攘夷派に暗殺された井伊直弼を主人公とした小説です。制作側の意図は証言として残っています。まだ際物に過ぎなかったテレビのドラマを、せめて映画程度には芸術性のあるものとして認めさせたかった――その為に、史劇が選ばれた訳です。
 これ、考えると幾らか奇妙でしょう? 映画の歴史が始まったばかりだった時、まだ新奇な見世物だった映画を芸術性のあるものとして認めさせようと選ばれたのは、史劇だった。NHKはそれと同じことをした訳です。次の「赤穂浪士」はもっと奇妙な事になります。原作は大佛次郎ですが、つまりは忠臣蔵です。参照されているのは歴史を題材とした歌舞伎であり、ポピュラリティと古典芸能としての芸術性の両立において最も日本的と考えていいものです。その次が「太閤記」つまり戦国安土桃山で豊臣秀吉、再び大佛次郎の原作で幕末物が来て、1968年が司馬遼太郎の「龍馬が行く」で、概ねこの辺りで、どこの家にもテレビが入ります。つまり先に言ったような、どこの家も日曜の夜八時になると茶の間に家族が揃って大河ドラマを見る、という奇習が始まった訳です。
 司馬的な歴史小説の特異性はそこにあると言えるでしょう。大衆向け小説の形で天下国家を動かした英雄偉人の生涯を物語化して書く、書いたものはしばしば映像化され、国民の大半が日曜の午後八時に家族揃って見て、何事か学んだような気分になって翌日からまた一週間、大人は職場で働き子供は学校に行く、と考えると、些かグロテスクですが、それが高度経済成長期の風景であり、司馬的な歴史小説は社会にイデオロギーの装置としての「歴史」を提供したことになります。小説は本来どこまで行っても小説であり小説でなければ失格――つまり歴史を学ぶテキストではないのですが、それが実に巧みに「真」の歴史として提示され基礎教養として押し通される世界ができてしまった。そういう小説を原作とする大河ドラマもまた然りで、本来ドラマはどこまでもドラマでありドラマでなければいけない――つまり考証まで含め歴史を学ぶ視覚テキストでは全くないのですが、それをどこまでも「真」であり「真」でなければならない国民の神話として流通させる最大の媒体になった訳です。
 そして他方で、こういう小説やそれを原作とするドラマが仮に「真」であり何かしらの「学び」を提供して実践の役に立つか、それを目的としているのかと言うと――。
 例えば本間宗久という人物がいます。山形酒田の出身で、日本の過去の人物としては国外でも例外的なほどの知名度を持つ人物です。検索を掛けると英語でも短い伝記が出て来ます。業績が事実かどうかは確認が困難で、どうも違うらしいのですが、事実ならこれほど大きな影響を今日の世界に及ぼした人物はちょっといないでしょう。その業績というのは、株式やFXで多用されるろうそく足を使ったチャート分析の考案です。人生も波乱万丈です。早くに引退した兄の後を継いで、甥の後見人として大きな米問屋を切り回し投機的な取引で莫大な収益を上げるのですが、成人した甥に不道徳であると言って追い出され(甥はその収益を慈善事業に使ったと言われます)、大阪に移って堂島の米市場で浮沈を潜りながら名を上げ、後に江戸でも成功する傍ら、チャート分析の手法を考案する。当時の世界では先進的な経済活動を誇りながらも貨幣経済が未発達で、民の主要なカロリー源が投機の対象にされ飢饉の被害を拡大したことを問題として提起もできるでしょう。当時の米市場のメカニズム、相場を左右する情報伝達技術の試行錯誤などを加えれば更に面白くできる筈で、江戸物について既に知識のある作家なら比較的短期間に仕上げることができるでしょう。でも、日本の歴史小説の主題としてメジャーにはならない。大河ドラマの原作にもならない。市場というものを雛形として俯瞰することは仕事に生かせるという意味で極めて実用的なのに。
 本間宗久だけではありません。歴史上極めて重要であっても茶人や歌人俳人、役者、能楽師も、この種の歴史小説になることは多くはなく、大河ドラマにもなりません。商人は一度、1980年代にありましたが不評でした。どうしても天下国家が――ついでに言うとサムライと、出来れば合戦が必要なようなのです。一体何の為に?
 司馬的な歴史小説の機能というのは、「真」なる歴史知識を物語化して伝えるところにはどうもないらしい。むしろ、ある種の幻想の装置として、あたかも天下国家を争う戦国武将であるかのような空想の世界に遊べる遊園地として、利用されているのではないか、と思えるふしもあります。戦国武将や維新の志士として常に天下国家を見据えながら戦争をする自分を夢見る――これと、日本中が日曜の夜八時にテレビの前に揃って見ていた光景の組み合せは結構グロテスクです。戦国武将ファンタジーで頭を一杯にした人々が、揃って月曜の朝、勤め先に向かい、戦争になぞらえた仕事に精を出す、というのは。実際、高度経済成長時代の男性はそんな話をする人が矢鱈と多かった。そんな国一体どうなってしまうことやら。
 幸い、大河ドラマ的歴史小説の題材になるような戦国武将も尽き(小説としては勿論、題材が何であれ、これで書けるというものを書けばいいのです。百万回書かれた題材でも別人が書けば別物に仕上がるので、お望みなら書けばいいのですが)、日曜の夜はてんでに好きなものを見るようになって影響力も下がり、何より現代の日本人のうち、幻想としても自分を戦国武将と錯覚できるような職を得る者は今や僅かです。なので、そういう小説がどのように歴史記述としての「真」の錯覚を生み出すのかを分析して次に進みましょう。