『黄金列車』についての覚書 III

ハンガリーのユダヤ人

第一次世界大戦の終結をハンガリーは敗戦国として迎えることになった。独立直後の共和制は、戦後の国際体制に恭順を示そうと武装解除したところに、やはり独立したチェコが進攻して北のスロヴァキアとカルパティア・ルテニアを軍事占領したせいで支持を失って倒れ、続くソビエト体制は、ルーマニアがトランシルヴァニアを奪った為に同様に見捨てられた。南の地域は既にセルビアを中心とする新国家――後にユーゴスラヴィア王国と改称された――の領土となっていた。1920年に締結されたトリアノン条約ではこの状態が固定され、加えて西の国境沿いの細い地域がオーストリアに割譲された。以後、領土回復は誰も反論できない国家の悲願となる。

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両大戦間のハンガリーにおける反ユダヤ主義には、この領土問題が大きく影響している。

トリアノン条約以前、ハンガリーは多民族国家だった。1910年の統計では全人口1826万4533中、ハンガリー人は55%を切り、スロヴァキア人、ルーマニア人、セルビア人、ドイツ人、ルテニア人、クロアチア人、スロヴェニア人等が残りを占めた。もとより多民族混住の地域の上、十八世紀にオスマン帝国を退けた後、来るものは拒まず式に入植者を受け入れた結果である。ちなみにユダヤ人は全体の5%、そのうち77%がハンガリー語話者だった。これはぎりぎりでハンガリー人が多数を占める国家においては、少ない数字ではない。

ユダヤ系ハンガリー人は同化志向の強い臣民だった。ドイツ化が推奨された十八世紀には求められるままドイツ語起源の名に、二重帝国以後は積極的にハンガリー語起源の名に改名した。ハンガリー語文化とハンガリー愛国主義の積極的な担い手でもあった。一方、ハンガリー王国は、ローマン・カトリックを別格として、主にキリスト教諸宗派に公認宗教の地位を認めていたが、ユダヤ教はその一つでもあった。周辺諸国からは迫害を逃れたユダヤ人が流れ込み、1910年には人口比を全体の5%まで押し上げた。当時の中東欧圏では例外的な好環境の中で、ユダヤ系ハンガリー人は社会の様々な分野に進出する。

中東欧圏のユダヤ人は、十九世紀もある時期までは――国によっては二十世紀に入ってもなお――その大半が貧しい小作人であった。理由は簡単で、キリスト教徒ではない為土地が持てないからである。ユダヤ人、と聞いて一般にイメージされる職業は彼らが置かれた状況の産物だ。

あるユダヤ系のヴァイオリニストは、何故ユダヤ人にはヴァイオリニストが多いのか、と訊かれ、村が襲われ親が殺されても門付けで生き延びられるよう子供たちに仕込んだ伝統があるからだ、と答えた。クレッツマーと呼ばれるユダヤ系の辻楽師は、ロマの楽師同様、古くから各地を流して歩いていた。十九世紀以降都市化が進み、音楽が商業的な劇場に場を移して行く中で、彼らの活動の場はショウ・ビジネスへと移って行く。

聖典を読み解釈することに重きを置く信仰のあり方は、識字率の高さに繋がる。十九世紀以降の社会は高度な識字力の人材を必要としており、教育や就職の機会が開かれると同時に、弁護士や医師、研究者等の知的専門職への道が開ける。

悪名高き金融も、賤業と見做されればこそ、彼らに任された。古くからユダヤ人は王侯の財務管理を請け負った。ポーランドでは十九世紀に入っても、貴族は見たこともない領地の管理をユダヤ人を雇って任せ、町から請求書を送り付けて支払わせていた。

繊維業やファッションビジネスにもユダヤ系は多いが、これは農閑期に現金収入を得る手段として小間物を行商して歩いたところから始まっている。仕入れるより自分で作って売る方が収益率が高いと気付いた者の一部が工場経営へと乗り出す。シュテファン・ツヴァイクの祖先はそうやってボヘミアからウィーンに辿り着いた。

土地を持てない、という差別的な制約が、近代化する世界への適応に繋がったのはある意味皮肉な話だ。ハンガリーという国での好条件は彼らの成功を他所よりも容易にした。

かくて、十九世紀末から二十世紀の初頭はハンガリー・ユダヤ人の黄金時代と呼ばれることになる。商店主や工場主、弁護士、医者、科学者、研究者、作家、ジャーナリスト、俳優、財閥一族、貴族に列せられる者さえいた。当時のヨーロッパでは例外的な条件に恵まれていたことは、帝国の他の土地――例えばユダヤ人人口中2.5%がキリスト教への改宗者だったボヘミアと比べた場合の改宗率の極度の低さからも伺える。その率実に0.05%。つまり、改宗しなくても十分にやっていける環境にあった訳だ。

トリアノン条約以後、条件は激変する。

もう一度、覚書 IIのハンガリー王国の地図を見ていただきたい。薄いピンク色に塗られた地域が主としてハンガリー人が住む地域だ。上に挙げた図のように領土を失った場合、主に残るのはこの地域、ということになる。ハンガリーはハンガリー人国家になり、多数を占める為には不可欠だったユダヤ人との提携関係は不要になる。全人口に占める比率は5.9%と上がったが、今やユダヤ人は目障りな異分子と見做されるようになっていく。