『スウィングしなけりゃ意味がない』サウンドトラック裏話

*2019.05.24 文庫化

『スウィングしなけりゃ意味がない』が三月二日に刊行されます。(2017年)

サウンドトラックを改定したついでに、ちょっと裏話をすることにします。

“It Don’t Mean A Thing (If It Ain’t Got That Swing)” -Duke Ellington & His Famous Orchestra (1932)

最初、この小説は「有頂天時代」というタイトルにするつもりでした。言わずとしれたこれの邦題ね。ただ、それはあまりにも森見登見彦氏っぽいのではないか、と文芸カドカワの担当者に言われてこっちにしました。

日米開戦まで、日本はアメリカ映画の国外公開では最先端を切っていました。本国封切りから最短二、三ヶ月で字幕を付けて公開されていたので、どれだけアメリカ映画が好きだったのか、ということになると思います。作中で言及される「犯罪王リコ」は1931年1月本国封切り、日本公開は同年10月。「有頂天時代」は本国では1936年8月封切り、日本公開は同年の12月。

ギャング映画は本国でさえ問題視されていたので、公開されなかった国は結構ありますが、日本は割と見境なしに公開していました。ちなみにドイツでの初公開は1970年代に入ってからテレビで、が多いようです。ヨーロッパではデンマークがやっぱり見境なく公開していました。

ただし、「彼奴は顔役だ」のデンマーク公開は1940年の春なので、1939年の秋にハンフリー・ボガートの冷血極まりない台詞を教えられた、というのは、エディ・フォスの勘違い。ただまあ、あれは無類に格好いいわな。亭主と一緒にDVDで見てて、あそこで二人して、うぉおおおお、と言った覚えがある。

2. 団歌斉唱

“Unsere Fahne Flattert Uns Voran”
*どうしても聞きたいという人は検索してください

Volks ans Gewehrもそうだけど、この音楽的な貧しさには呆然とするしかありません。ただ、音量はでかい。ニュルンベルク大会の時には既に、床下にスピーカーを仕込んで参加者を音で揺さぶり返すことは行われた模様。爆音で思考停止に追い込み一体感を醸成するというのは、別にロックの発祥を待たなくても既に行われていた、ということになります。ワーグナーは電気的再生技術なしにやることを十九世紀の半ばに試していました。小さい箱で生演奏を聴くと、当時としてはどれほどの爆音だったか、は実感できます。嫌がる人も当然多かった——爆音を娯楽として享受する習慣自体が定着するのは二十世紀後半に入ってからでしょう。ただまあ、ワーグナーはどろどろにダウナーですけど。全然元気出ません。ただもう沈むだけ。爆音でダウナー、ってたまんない。

体制によるジャズ排撃と一般市民の音楽受容の実態の乖離については巻末の「跛行の帝国」に書いた通り。ただ、ひとつ書き落としたことを補足しておくと、両大戦間の先端的な音楽の複雑さにごく普通の鑑賞者は振り落とされていた、という側面があり、これはいわゆる「退廃芸術」全般に言えることで、ナチスはその反感に乗る形で絵画や音楽の弾圧を行って拍手喝采を浴びた、というのが実態です。

“Pick Yourself Up” -“Swing Time” (1936)

つまりまだ「ブレイキング・バッド」を引きずっている、ということです。

 “Caravan” -Duke Ellington and his Famous Orchestra (1937)

“Sing, Sing, Sing” –Benny Goodman

この二曲を聞くと、スウィング・ボーイズが何を「発見」して熱狂したのか、は明らかでしょう。

ちなみに、彼らはジルバを知らなかったので、フォックス・トロットでやっていたようです。女の子を投げるとか脚の間を潜るとかはなし。

“Puttin On the Ritz” – Fred Astaire

映像化するならお粧しして出掛ける皆さんのモンタージュが欲しいところ。悪餓鬼は悪餓鬼なりに、ナチはナチなりに。

ちなみに、今では一般的なこの歌詞をここで使うのは本当は時代錯誤。こっちの筈です。どの時点でこの歌詞になったのかは調べが付いておりません。しかし内容的にあまりに合うので意図的にこうしてあります。

“The World is Waiting for the Sunrise” -Benny Goodman Quartet

ベニー・グッドマン最高。

“St. Louis Blues” -Django Reinhardt

ラインハルト最高。

“One O’Clock Jump” -Count Basie 

本当は”Take the A Train”を使いたかったのですが、あれはもう少し後の曲です。いや、好きですけど。

“Surabaya Johnny” -Lotte Lenya

問答無用に好き。だけど、ロッテ・レーニャの声って「ビッグバン・セオリー」のペニーによく似てないか?

“Amapola” -“Once upon a time of America”(1984)Sound Track

もっと古い演奏がYoutubeには色々ある訳ですが、個人的な理由でこれになってます。

“Strange Fruit” -Billie Holiday

何故ここでこれ、という方は、歌詞を見てみて下さい。

“Night And Day” -Cole Porter

よく聞くと結構やばい歌詞です。微妙な攻撃性を秘めております。「陽気な離婚」のフレッド・アステアも結構迫り方が怖い。

で、当時「ジャングル」と言った時に言外にさすもの、について考えている訳ですが、こういう微妙な攻撃性が含まれていることは確実と思われます。それとroaring traffic boomがあるような大都市が結び付けられることで一体、どういう感覚が生まれていたのか、も考え中です。「ジャングル」と「アスファルト」、どちらもナチが毛嫌いしたものですが。

” Saint Louis Blues” -Louis Armstrong 

既に皆川博子氏にご指摘いただきましたが、ナチ時代にもこの曲はこのタイトルで結構広く聴かれていました。

ついでに、トンフォリエンについて。玉音放送を録音する時、同種の装置を使ったことが知られております。すさまじく高価だったと言われておりますが、ドイツの当時の広告を見ると、フォルクスワーゲンを今日の軽自動車の新車程度とした場合、今日の邦貨換算で定価三十五万円ほど、と考えていいと思います。中古ならもっと安い。スウィング・ボーイだったギュンター・ディッシャー氏はこれを手に入れてBBCの放送から海賊版を作っておりました。いや、まじで。ようやるわ。

磁気録音機はまだ出始めですが、Uボートに搭載されていたことは知られています。浮上して長々通信をすると位置を掴まれてしまう危険がある為、録音しておいて、浮上した時に早回しで送信する目的です。前線取材用にも小型のものが出回っていました。

当時の放送局の技術の水準は、残された録音からデジタル化した音源を聴いていただければおわかりの通り。かなりいじっているんでしょうけど、すごいものはすごい(駄目なのもあるけどねえ)。これは、クラシックを聴くみなさんはご存知の通り。

“Take the A Train” -Duke Ellington

“Who’s Sorry Now?” -Nat King Cole

昔話を一つ。

1970年代に、両大戦間ブーム、みたいなものが微妙にありました。「スティング」とか「華麗なるギャツビー」(レッドフォードの奴ね)の公開の頃。スコット・ジョプリンとかが一般化したのがこの頃。近所に映画館がなかったので、NHK-FMで映画音楽番組からサントラをエアチェックして嵌まり、ジャズの番組も聞くようになりました。

ただ、どんなに聞いても、モダン・ジャズの面白さがわからなかった。色々読んで知恵付けて、なんかドビュッシーとか理解しなきゃ駄目みたいね、となり、更にワーグナーとかも聞かなきゃ駄目みたいね、となり、で、一発で撃沈されて現在に至っております。相変らず、モダン・ジャズはよくわかりません。大学生の頃は皆さん、フュージョン、とかを喜んでおりましたが──正直な話、怒らないでね、腑抜けミュージック、という以外の何の感想もありませんでした。それこそ当時はナンパ・ミュージックだったしね。面白く聞けるのは1950年代のスタンダード・ナンバーまで。一番好きなのはディキシー、というところで、ジャズの方は停止しちゃった。

ところが中学校の頃聞いていた音楽と言うのは結構覚えているんですよ。で、今回もこの曲、一生懸命声を思い出しながら探しました。で、あ、これだ、というので見付けたのがナット・キング・コール。

二十世紀前半のヒット曲と言うのは息が長く、何度もリバイバルします。”Who’s Sorry Now?” は、1957年のコニー・フランシスがよく知られているようですが、原曲は1923年。マルクス兄弟の「カサブランカの一夜」でも使われております。でも、どうしてもナット・キング・コールじゃなきゃ駄目だった。ということでお許しあれ。

“Senta’s ballad”(Wagner: Der Fliegende Holländer) -Jessye Norman

歌手がアフリカ系アメリカ人、というのはリチャード・パワーズ「我らが歌う時」への言及です。あれ最低。米文学の嫌なところを凝縮したような代物。

“You’re Driving Me Crazy” -Rudy Vallee & his Connecticut Yankees

Charlie and his Orchestra、またはゲッベルス・バンドの演奏はこちら。ベッティ・ブープはこちら。この頃のカトゥーンってほんとにクレイジーだ。

Charlie and his Orchestraは対英米プロパガンダ・バンドとして、短波放送に週二回レギュラー枠を貰っていたようです。メンバーにはロマの演奏家とかもいたと言われています。戦後の英国の調査では、調査対象の約1/4が、この放送を一度以上聴いたことがあったとか。ドイツ人がBBCを聴くだけではなかった、ということになります。

“Blitzkrieg Baby” -Una Mae Carlisle

この曲はなんで知っていたのか全く記憶にありません。どこで聴いたんだろう?

“Ain’t We Got Fun?” -Van & Schenck

レッドフォード版の「華麗なるギャツビー」のオープニング。あまりに狂気に満ちた曲だったのでずっと覚えていて、今回探し出して聞いたら、記憶していた以上に狂気でした。別なヴァージョンでは、皿なんか洗わなくていいよほっとけよ遊びに行こうよ、という、子持ちの若夫婦にあるまじき話まで出て来ます。

背景にあるのは、第一次世界大戦直後のどん底不景気。これ、ギャング映画なんかでも帰還兵がやくざになっちゃう動機として出て来ます。例の「彼奴は顔役だ」とか。「ギャツビー」もある意味そう。みんなで平等に貧乏に、とか言う人はこれ聞いてよく考えていただきたい。それでもぼちぼち楽しくない? って世の中が本当にいいのかどうか。

“Alabama Song” -Marilyn Manson

クルト・ヴァイル「マハゴニー市の興亡」の中の曲ですが、殆どスタンダード・ナンバー化してデビッド・ボウイも歌ってます(「ワールズ・エンド」で使われてるけど名場面だと思う)。

ただ、この歌の本領は本当は三番です。銭ですよ、銭。資本主義のえげつなさをみんなして迂回するのな。「マハゴニー」では、”Ach, Bedenken Sie, Herr Jacob Smitd”のところで、女を買う男どもが行列して、金払って、カウンターに積み上げてあるタオルを一枚ずつ貰って中に入る、という嫌な演出があったことを覚えておいていただきたい(オペラでは割と普通にそういうのがある)。この女の子たちはそういうところで仕事をする訳です。

“Brasil” -Jimmy Dorsey (Bob Eberly & Helen O’Connell, vocal)

ディズニーのキャラクター・ビジネスは、今ほど隆盛はしていないとしても、両大戦間には既にありました。ebay辺りには最初期のキャラクター・グッズが時々出てますが、中には簡単な映写装置と組になったフィルム、なんてものまであります。アウシュヴィッツの近辺で、おそらく収容者が持ってきたと思われるぱちもののミッキー・マウスのフィギュアが発見された、という話を読んだ時には一日鬱になりました。

ドナルド・ダックの「ブラジル」。これは傑作。

“Swinging On A Star” -Bing Crosby

ここも映像化するには是非モンタージュがほしいところです。戦争最末期の。騾馬、豚、魚が何に相当するのかは御想像にお任せします。

“The World is waiting for the Sunrise” – Benny Goodman (1980)

7. のリプライズ。私が持ってる音源はGeorge LowisのLP。

一口で言うなら、1940年代のドイツは既に限りなく現代に近い世界だった、と言うことになります。どうかすると西暦2000年を跨いでの変化の方が大きいんじゃないかしらん。それでも、こんな穏健なスタンダード・ナンバーに対するスウィング・ボーイズの熱狂は、うっすら想像できるだけです。高校のブラスバンド部がコンペでやる課題曲だよ、今や?
ベニー・グッドマンが1938年にカーネギー・ホールでやったコンサートの録音が残っています。これを現場で聴いた人は幸せだっただろう、という録音ですが、カーネギー・ホールでジャズが演奏されたのはこれが最初だったらしい。そこから、デミアン・チャゼルの「セッション」の最後のところ、カーネギー・ホールの就活演奏会、までの距離を考えていただきたい(あれ、最悪だよ——チャゼルの腑抜けミュージックに対する憎悪は「ラ・ラ・ランド」でもえげつないくらい明らかですが。あそこだけでも見る価値あり。悪夢みたいだから)。今やあれなんだよ? 腑抜けミュージックの代表格、みたいな。
この話はその間の、ただしグッドマンの方にずっと近いところで起こった話だ、とお考え下さい。